Nicotto Town



渋谷 藤原新也


電車に乗る時間が長かったので、合い間に何冊か文庫本を読みました。

『渋谷』 藤原新也著 

『全東洋街道』『西蔵放浪』など、かなり読んで、観ている写真家のエッセイと写真。

ちょっと調べてみると、『渋谷』映画化されていたんですね。
知らなかった。

わたしは関西なので、東京はあまり行く機会がありません。
渋谷は若者が群れる沸く街だとか。。

文庫本の帯に書かれているのが「おねがい。わたしをさがして」
母と娘その愛と葛藤。
あ、書いてある映画化の原作って^^;

痛い内容です。
母と娘と言う特殊な関係。お互いに凌駕する時期がある。
一番、難しい思春期に、娘はどう反乱を起こすか。
それが問題。社会問題化する痛ましいケースとして
男の子なら傷害及び、殺人を犯す。
これは大々的なニュースになっている。

そして女の子なら
自分を売る。。のか。。

究極の話がある。
実は知らないだけかもしれない。
当たり前にある話なのかもしれない。
それが胸を痛くさせる。

都会という需要と供給がせめぎ合う市場世界
商品をして、自分を見つける手段として、今までの自分を否定する手段として
自分を売る少女たち。

驚愕して苦しむ母親。
父の不在が浮かび上がる。

思春期、ガラスの十代とは歌詞だったはず。
嵐のように現れる自我との格闘。
強く叩けば割れて壊れ、優し過ぎると尖って
触れると血が出そうだ。

母は娘に自分を重ね、夢を託すために支配する。
娘は自我を求め凄まじい反逆にでる。
反抗期。

思春期に出なかった場合、
大人になってから、時に精神的にトラウマを持つケースもある。
わたしの身近にも何人かいる。
母親の支配から抜け出せないまま大人になり自立を知らなければ
酷いケースは自殺未遂を繰り返すか、
不幸を常に他人のせいにする依存型人間となっている。
彼女たちは常に誰かを必要とし、
誰かの価値観に振り回されて、自分を自分で認めてあげることができない。

とはいえ、思春期で道を踏み外せば、
修復不可能な場合も出てくる。

中心となる女性がいる。
少女の頃、自分を売っていた過去がある。
恵まれた境遇、恵まれた容姿でも
彼女は自分を売った。
荒れるでもなく、髪を染めたりする信号を送るでもなく
静かに怖い少女だったという。
今は胸の痛みと、中絶を繰り返した体を取り替えたいと願いつつも
自立して生きている。

彼女があとがきとして書いた最後の行が
泣かせる。

必要以上に傷つけた両親を看取るまで
生きていく覚悟である。

わたしは自分の十代を思う。
いろいろあったにせよ、うまく乗り切ってきた方だ。
違いはどこにあるのかと。
それはいつか、また書きたい。

ニコにいる少女の皆さん。
どうぞ、自分を労わって大切にしてくださいね。

自分を愛する事が、一番学ぶべきことで
人生を通し、考え続けなければならないのかもしれません。
これはとっても難しい。
自分は誤魔化しがきかないからだ。

愛おしい自分であることは
厳しさも必要だから。

その愛は貴女を守り、貴女を愛する人も守ってくれる。

自分を大切に。
そう願わずにはいられない。

雨で出来た、淀んだ水溜り。
見つめていると、思いのほか深いかもしれない
都会のアスファルトのせいなのか
時代のせいなのか
寂しくなる
『渋谷』とはそんな内容。

少女たちの今が切ない。

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2010/04/09 15:09
南の島のヒロさん★コメント再度ありがとうございます。

風土性とうことでしょうね。

その昔、といっても母の母、おばあちゃんの世代の
日本の南の島なんですが、
祭りは「ハレ」の日。
浜辺で、焚き火を囲み、呑んで唄い、踊って
酔いが回れば、好きな女性を拉致?的に抱きかかえて
連れて行ったそうです。
これ、既婚、未婚、関係なしだったそう^^;
それで、親族関係がぐちゃぐちゃ。
でも異父、異母兄弟は仲がいいんです。

倫理観の行き過ぎも、人を苦しめるだけかもしれませんね。
ああ、これは難しいところですね。
そこにある種の「美」のようなものも感じるのは
たぶん日本人として育ったからにすぎませんね。

結婚という一生、同じ異性と添い遂げるということも
本来は理にかなっていない部分があります。
もちろんケースバイケースですが。

わたしの父が女性に対し、愛憎相半ばするという人物でした。
若い頃に裏切られた経験と、母への思慕と(早く亡くなった事を怨んでいました)で
女性に対し、非常に侮蔑的な言葉を投げつける人でした。
それゆえ、わたし自身は反発から、
非常に強い倫理観を持ってしまった
ジェンダーに絡みとられていたともいえるんです。

ある意味、人は自由であってもいい。
変な意味ではなくて。
強い倫理観は、非常に若い時期はそれによって守られますが
後には苦しみを伴うこともあります。
この辺りは、難しいで問題でもあります。

自由というものは自己責任です。
そこさえ、ちゃんと分かっていれば、自由であって
楽しく生きていければいい。
そう思います。もちろんすべてケースバイなのですが。。

自分を振り返り、もっと自由であれば
もっと艶やかな若い時期であったかもしれません。
と少し残念な気もします。
しかし、人というのものの魅力は
長所と短所、その両方にあって
強い倫理観を持ったあの時のわたしも
それゆえの魅力があったのでしょう。

人様々ですね。
要は自分を傷つけ、裏切るようであってはならない
それを心に留めてほしいですね。若い人に。。
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2010/04/09 14:48
カルカンさん★コメントありがとうございます。

十代の頃、体も大きく変わる時期
心も自我との格闘に苦しみますね。

その中で自分をどうやって確立していくか
この時期の人間関係は、ある意味重要かもしれません。
他人の評価、あの頃は気になって仕方なかったかも。

そうなんですね。
大人がそこに大人であるべき規範を持っていれば
成り立つことがないのですが
残念ながら、人は大人、というものには
本当になれないかもしれません。定義が難しいですね。

一度踏み越えてしまうと
傷つきのはその子自身だけ。
哀しいですね。

ありがとう^^無事帰還です。
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2010/03/29 10:20
こんにちわ。

 日本には、崩れかけているけれども、まだ日本らしい道徳の元も残ってますよね。
 そうした目で見ると、批判的な部分が増えるし、それに気づいた人は、自分を責めるでしょうね。
 南の島では、そうした縛りがありまへんし、ラテンのノリが大きいですから「誤った道」と言う意識も無いんですわ。
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2010/03/28 18:02
自分を見て必要として評価して
という人の評価がないと自分が
わからないというものからの脱
出は難しいですね…
逸脱し過ぎると変わり者、偏屈
ですか・・・
自分を売るということ・・・
大人がそれを利用しているという
背景があることを知って、それを
納得してでの行為であるか否かが
問題ですね…

お気をつけて~
お土産話楽しみにしています^^
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2010/03/27 23:18
catさん★コメントありがとうございます。

環境によっては、本当に遠い世界の話のように思えますね。

読んでいると、なんとなくわかり
やっぱり、どうしてそこまで、と、を行ったり来たりする気持ちに襲われます。
著者が男性なので、視点は優しいんですね。

語られるのは、母と娘の関係なんです。
そこに歪みがある。
母親も愛というものが何かを迷っている。
そこで、娘を見失ってしまうという、痛ましさがあります。

だからといって、なぜ、そうなるの。
というのは都会という悪い意味での選択肢の広さでしょうか。

一度、機会があれば読んでみてくださいね。
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2010/03/27 22:58
以前TVで親に売られ、売春をさせられております外国の子が
その世界その生活しか知らず、悲しいとか一般的な感情を
持てませんような番組を拝見し 何ともいたたまれません気持ちになりました。

選べない・・・

大人や、ある程度生活力が御座いますのでしたら兎も角
選択肢がない・・・



何となく

反発心



少女の皆様当人には、どうにも出来ません気持ちのやり場をそちら(売春)に向けてしまうのかもしれませんが
世界のもっと幼くともそう致します事しか出来ませんでした方を想いますと
本当にその先へ進んで良いの?と
問いかけたくなるのでした。
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2010/03/27 22:46
何だかとてもその本を読んでみたいと思いました。
何方の目にも見てはっきりと解ります『信号』でなく
静かに・・・だけど確実にどんどん自分の心を崩してしまう・・・
とても怖いです。

私は生まれも育ちも関東ですが、田舎育ちで田んぼに囲まれ
援助交際なんて全く別の世界の事のような暮らしでした。
ですが、万引きや暴行(喧嘩)などでしたら
身近な話題ににあり、思春期の葛藤のない時代なんて
ないのでしょうけれど 初めてニュースなどで
小学生で・・・などとお聞き致しました際は
本当に驚いてしまいました。


私も女ですし体と心の事、大切に生きて欲しいと切に願います。

いつか自分の心が自立し、本当に心から愛すると想える方に出逢えました時
言葉などでは言い表せない程、苦しい悲しみと後悔を致しませぬよう・・・

黒猫手毬さんの

愛は貴女を守り、貴女を愛する人も守ってくれる。


とても温かなお言葉と 胸が熱くなりました。
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2010/03/27 02:28
yukinkoさん

なんていうかな。
『渋谷』を読むと、訳が分からなくなるのね。
時代の空気がある。

実際に目の前にいたら、物凄く怒って止めるけれど、
わたしをさがして
という
わたし、自分がなにかわからない
という思春期独特の孤独感。
そこに母の娘の理想、娘が母に望む愛の在り方が絡んで葛藤がある。

で、なぜ、そこに流れるのよ。
というところになると
商品としての自分がいて、すごい底辺での自己確認の甘さがある。
そこに、大人の悪意ある作為や罠を感じる。
無知であるがゆえの哀しさがあって、
なんだろうな。やっぱり、どうして。。って思いが強い。

自分を大切にして欲しいと切に願ッてやみません。
でも、何だろう。
それだけで終わらない何かを感じてしまうんです。

オランダは特異な国なんです。
個人の意思が尊重されるんですね。
もちろん、あらゆる状況や、どうなるかを親は説明したうえで止めるわけです。
しかし、何よりも個人の意思、職業選択の自由がうえにくる。

その自由ほど、自ら責任を取らなければならないものはないんです。
いわば、人生は自分の意思で決めるわけです。
だからさほど蔑視もない。
男性優位の考え方からではないんです。

その代り社会がちゃんと更生プログラムを用意している。
仕事としてならば、検査も義務付けている。社会保障が公的にできているんです。
もう一度違う職業につける可能性が高いわけです。

ここは安楽死も進んでいる事で有名ですね。
麻薬も強いものはダメだけれど弱いものはどこでも入手可能なんです。
縛れば、欲求はますが、弱いものがいいならば、強いものには手を出さないだろうという見解のよう。

わたしはどちらがいいのかわかりません。
そのシステムを支えるのは個人の責任であるという自己の成熟があって
日本の村社会的な感覚とは格段、意識の差があります。

オランダでは軽犯罪は多くても、殺人などの重犯罪はかなり少ないようです。
驚きの連続です。
国自体は牧歌的なごくあたりまえの風景で、拍子抜けするくらいだそうです。

これはかなり以前に調べた情報なので機会があれば確認しておきますね。
残念とは、少し、違う感じなんですね。
人の倫理感とは何かを考えさせられます。
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2010/03/27 01:44
皆さんへのレスを読んだ上での再コメです。より危ないものに惹かれるという気持ちで、思春期に、心無い大人の道具に結果としてなってしまったとしたら・・・・。それは、幼き者といえども、自己責任の域かと思います。大人への憧憬ゆえに、なんとなく若気の勢いでしてしまったことであれば、人として、女として、後からつじつまが合う気がするのです。
だけど、近しき大人への反感、反発がベースであった場合の「ウリ」には傷以外、何も残らないと私は思っています。
国によっては、合法であったり、自分の意と反して「ウリ」にならざるを得ないケースもあるようですね。とても、残念な事です。そして、この日本でも、虐待のパターンとして、娘が「ウリ」に出されるケースも少なくありません・・・。
本人の意思と反するケースを除いて、自ら「ウリ」へと自傷行為のように踏み出す少女に関しては、どうにかならないものかと思ってしまいます。親、兄弟姉妹との葛藤をどうやって?尋ねられたら・・・・ケースバイケースの側面も多いですが、「あなたの人生は、あなたしか守れないのだ」と言いたいです。親に反抗してみても、現実にうんざりしてみても、これからその足で、その体で生きて行くのはあなた自身なのだと、、思春期の若木にはぼんやりとしか響かないとしても、そう言い続けたいです。
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2010/03/27 01:06
南の島のヒロさん★コメントありがとうございます。

オランダでは合法なんだとか。
親も一度は止めるけれど、本人の意思があれば、それなら仕方がないの世界。
自己責任が確立しているからこそなんですね。
そして、保険制度もあるしリハビリも更生施設も完備され、立ち直るチャンスも多いらしいのです。

しばし考えました。
闇であるからこそ、闇の力が働くので、表にしてしまえば、そうはならない。。
人間の倫理とは不思議なものです。

貧しさからでもなく、反抗と興味とで堕ちていく。
堕ちるということさえ気づかないという感覚は、理解しがたくもあり哀しいものです。
そういう手段が手近にあったからなのだろう、と。
それだけで、なぜ、どうして。と、疑問がたくさん浮かびます。

人だけがたくさんいる都会での選択肢は
人の中に紛れ、ますます自分を見失ってしまうものなのでしょうか。
自分を商品としてしまうと、自我を得るどころか
消え去ってしまう。消え去る事を願っているように思え、今の少女たちと母との在り方の
痛ましさがありました。。
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2010/03/27 00:44
歌穂さん★コメントありがとうございます。

知らないということは怖いことです。
経験してしまったあとで、知り得ても、深い傷を負います。
たぶん、教育も早めにちゃんと教えるべきなのでしょう。
麻薬などと共に。
友だち同志の曖昧な噂話程度の知識ではなく
より現実に則した知識
それが、必要な気がします。
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2010/03/27 00:37
yukinkoさん★コメントありがとうございます。

父は母親に溺愛されて育ちました。その母の早すぎる死と、最初の結婚(十代。親ほど歳の離れた兄弟がいますが
会ったことはありません)の失敗により、内側に女性への愛の渇望と憎しみがあったのだと、考えています。

その為か、女性に対する蔑視、差別的な罵倒の中で育ちました。母に対する暴力よりも言葉の方が
深くわたしの中に沈んでいったのかもしれません。
わたしの内側には、特に少女期、無意識的に生々しさ嫌う、女性への意識への反感が強くありました。
女性とて見られることへの嫌悪があり、高校くらいまでは男の子みたいでした。
その後、どちらかというと、人よりもフェミニン系の方が似合うタイプであると知り、変わってはいきましたが。。

ある種の潔癖的な意思が、思春期のわたしを守ったとも言えます。
どこで、何が危険を知り得るのか、留まれるのか、
人それぞれなのでしょうが、より危ないものに惹かれるのが、知らないという愚かさと幼さなのでしょう。

それとも、心を震わせる何かに出会う、か、考える機会があるか
今よりもずっと先はあって、その途上であること、何かになれるということ。

yukinkoさんもわたしも親との葛藤を抱えています。
いや、ない子どもは少ないのでしょう。
自我というものを確立する為の、不安と絶望と希望。
親、友だち、彼氏でもなく、本当にそう。
何よりも自分の心に自分が素直に語りかけ、本当の自分と向き合うこと。

でも、どうやって、と問われたたら
う~ん、どう答えようと、しばし考えてしまうのです。
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2010/03/26 17:44
こんにちわ。

 エエことを書かれましたね。 そのお考えで、こちらの子たちを教えてあげて欲しいですわ。
 売ると言えば、買う人があるもんで、人類の歴史で最も古くからある商売なんですよね。(現実)
 これって、高く売ってるつもりが、実は安く売ってることに繋がるのが現実ですやん。
アバター
2010/03/26 14:03
自分を売ることは、後で心も身体も傷を負います。
その場の逃げでしかないのです。
原因は人それぞれ、悩む思春期の少女たちが、
後の後悔とならないように行動してくれることを願うだけです。
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2010/03/26 01:22
高校までは東京でしたので、(親は関西人です)渋谷は、テリトリーみたいなものでした。
危ない話がたくさんあり、今で言う「ウリ」(当時援交)も横行していました・・・・・。

水商売はしましたが、ウリだけはしないと、思春期ながらに決意していたし、それでよかったと思っています。

ひとつの産業として、性をかざして商売をする事と、自分の肉体を万札に変えることには大きな違いがあると思いますし、その差が分からない、もしくは分かっていて、あえて反抗の手段として万札を選ぶ若い女の子たちが今もたくさんいるのなら・・・・とても悲しいです。

自分を愛する事という意味さえ、よく分からないほど混乱している少女の方も、いるでしょうね。それぞ、多感という事かもしれません。ただ、多感であっても未来を考える想像力が必要だと思います。多感で(多感の実感さえ沸いてないのが思春期でしょうけれど)どんな状況でも、将来の「自分」の為に費やして欲しいです。親でも友達でも男でもなく、まず、自分の将来をぼんやりとでも描けなければ、人生は自分の物ですから、行き詰ってしまう気がします。




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