山笑う。
- カテゴリ:人生
- 2010/03/19 16:17:03
虹の橋で待っているであろう??わたしのワンコ。
十七歳まで頑張って生きてくれました。
もちろん、散歩を(台風や大雨、病気以外)欠かしたことがありません。
意外と過酷なんです。
寒かったり、暑かったり、体調が悪かったりと。。
毎日、毎日、いろんな道を歩きました。
春と秋、美しい季節の到来、思えば僅かな期間です。
いつもは義務感の散歩も、率先して出掛けたくなります。
そんな気持ちを見透かしてか、彼は尻尾を大きく振りながらやってきます。
さぁ。散歩に行こう!と。
桜並木、モクレン、大きなミモザの木、色とりどりの花が民家の庭先を彩ります。
アスファルトの隙間に、小さな小さなスミレを見つけることもあります。
健気に咲く、小さな花ほど可愛らしいものはありません。
人の幸せや美しさを前にすると、いろんな事が混じり合い、
素直に称賛出来ないことが、時にはあります。
山笑う。
季節が花々に託し、喜びを届けてくれます。
等しく、すべての人に。
厳しい冬を耐えて、芽を吹き、艶やかに、ささやかに
いろんな花々が咲き誇ります。
綺麗ね。と言って愛でましょう。
それだけで、心はほんのりと幸せな気分になります。
思春期だった頃
母が父の暴力に耐えかねて、父のいない時間を見計らい、家を出ました。
止めることはできません。
雨でした。
二階の窓から母のさした傘が遠ざかり、視界から消えていくのを
泣きながら見ていました。
これからどうなっていくのか
不安がいっぱいで、涙が止まりません。
ひとしきり泣いた後
灰色だった空に陽がさしていました。
外を見ると
虹がありました。
わたしの窓から大きな大きな虹がかかっていました。
手が届きそうなほど近い虹
なんて綺麗なんだろう。
何もかも忘れて見とれました。
あなたの人生は終わったわけではないのよ
神さまがそう伝えたくて
かけてくれたような気がしました。
何よりも
美しいものを美しいと感じる心が
わたしの中にある。
きっと大丈夫だ。
不思議なほどそう思えたのです。
しばらく本当に辛い日々が続きました。
それも過ぎて、わたしの運は好転していきます。
虹を渡るように
人が認めるほどの幸せは
滅多に訪れません。
出会っても、過ぎゆく時間は早いものです。
反して、生きていくことは過酷です。
時々。
辛い時こそ、
美しいものを愛でる心を忘れないでと
わたしは願います。
ささやかなものを愛でる。
小さな幸せを感じる。
その積み重ねが、
折れそうな心が倒れても大丈夫と
柔らかなクッションで受け止めてくれます。
明日の為に
しばしの安らぎを。
山笑う。
もうすぐ桜前線がやってきますね。
半年ほど前になりますね^^;
月日の経つのは早いものです。
メイクなどもできるようになって
アバターも若干変わってきているしw
感傷的だなと思えば
どうぞ、軽く読み流してくださいね^^
半年ほど前のブログのようですが「人生」のカテゴリから読ませていただきました
涙が出ました
静かで美しいブログだなと感動しています
またお邪魔させていただきます♡
少し前知り合ったけれど、すぐに離れてしまった人がいました。
その人は容姿も家柄もよく才能もあるのに、不幸でした。
確かに人生は過酷です。でもずっとじゃない。
その人も不幸な時期がありました。
でも、自分の不幸を嘆いてばかりいる人でした。
達成できた6割を見ず、達成できなかった4割を悔やむ人だからです。
彼女は不幸を囲い込んでいるのです。
自分も元気な時は励ましてあげる事ができたのですが
元気でない時、とても疲れてしまったんですね。
わたし達は飢えることは、とりあえずない。
季節の恵みも、食も、当たり前のようにある。
それすら与えられない人々が、この世界には山のようにいる。
当たり前の周知の事実。
わたし達は忘れがちですね。
実をいえば、わたし自身が精神的に辛い事があり
彼女を見捨てるごとく(本人はそう思っていないと思いますが^^;;)
離れてしまったのが、小さな悔いとして残っています。
完全な不幸もそうそうないし
完璧な幸せも訪れことは、ほぼ稀。
どう対応すればよかったのか、彼女を思うと、気持ちが曇るのです。
cattさん★コメントありがとうございます。
そう。生きている時は、ワンコは散歩が大変だなぁと思ってました。
過ぎてしまえば、楽しいことばかり思い出されます。
散歩中、雪から突然の霙、雨への変わり、一人と一匹はヘラヘラと笑いながら
ずぶぬれになって家を目指して駆けてました。
それが、すごく楽しかった。
楽しい気分はワンコも同じらしく、顔が笑ってました^^
時間の共有が、かけがえがないんですね。
わたしの頭の半分は、現実的な事への処理を考えて、シビア
もう半分は、空想世界に住む部分なんですね^^;
幼い頃から、物語の世界に救いを求めていたのでのです。
夢や希望を忘れず、努力をという、まぁ、ありきたりですが
主人公たちの生き方が、三つ子の魂といいますか、根強く残っているんです。
心の柔らかい部分を、ユニコーンや妖精たちが守ってくれたんです。
子どもたちが本を読まなくなった。
より現実的な内容のアニメに走り、古くから生き延びている物語を読まない
それは、かなり残念なことかもと、思ったりします。
日常の色が失われてゆくような想いに囚われがちです。
黒猫手毬さんの綴られますお言葉は、心に重たい何かがスッ…と落ちて
黒くもやもやしたモノ達が消えて参ります^^
ワンちゃんのお散歩、私は一緒に暮らした経験は猫さんにか御座いませんので
憧れなのですが、友人様曰く
「毎日だから大変なんだよ。」とおっしゃっておりました。
しかし、毎日だからこそ
日々のとっとした変化、また自分の心の変化をワンちゃんと共に噛み締められます。
神様からのメッセージ・・・虹に気が付けましたのも
素直なお心失くしません黒猫手毬さんだからと思います。
時に苦しくとも 美しさ・幸せを感じられますお心
私も持てますように・・・
自分を不幸と思う心が不幸であり、目の前の小さな美しさを愛でる心が幸せだと思います。
顔をあげれば、何がしか幸せの形を見つけられる国に生まれた幸運を
素直に喜びたいと思う今日この頃。
それなりに、年齢を重ねたということでしょうかw
今は物が溢れていて、情報も、選択肢がいっぱいあるようで
実は限られていたりします。
何もない山奥の過疎の村のドキュメンタリーを見ていて
きっと暮らせないだろうなぁ、と思いつつ
懐かしい美しさを見出してしまいます。
ないことを嘆くよりも
あることを喜ぶ
しあわせはそんなところにたくさん存在するものなんでしょうね。
幸せを感じる事にマヒしちゃってる人々が多いと思います。
花が咲いたり、季節が変わったり、そういった自然の恵みを得る事で感じる事が出来る幸せ。
しかしながら人は欲ってのを持っちゃってます。
それによってマヒしちゃうのでしょうね・・・。
人は自分を悲観し、ブラウン管の中の華やかさに真実を見出す。
それが作られたものだと気付きもせずに。
辛い現実を乗り切るためには、そういった事も必要なのでしょう。
しかし、もっと身近なところに思わぬ幸せが待っていてくれる事もあるんです。
そういった身近な幸せに気付ける感性を、いつまでも身に付けていたいものです。
行く時はね、しんどなぁ。。と思いつつ、出掛けると夜の風景も
なんだか新鮮で、気分転換になるのよね。
そうなの^^ここ掘れ!ワンワンだ。
ラッキーワンちゃんなのね。
散歩をしなくちゃという義務感だけでも、自分の健康管理になってたりするしね^^
熱出しても、わたしがいないと不安みたいなので
熱冷シートを貼って、ヨロヨロと後ろからついて行った事もあったわ^^;;
そうなのね。なんだか、元気を貰う気がするのね^^
わんこにひきずられて外に出てみれば、普段忙しく通り過ぎる町も
わんこの目線で眺めると、季節によって様々な自然の変化、風の匂いを感じるのよね。
結果的に大切な気分転換になっている気がする^^
あ、因みに1万円札を拾ったこともあるのよv(*'-^*)
自然界の植物や動物は、与えられた環境で芽吹き、花を咲かせ生きている。
そういう姿を見ると、あぁ人間は弱い。頑張らなくてはと思います^^;
幼い頃、親に裏切らたと思う事が多く、何かの導き手ば欲しかったのですね。
親が最初に出会う人間、それを信用できなくなり、人に頼るとか信じるという事が
あやふやに思えて仕方がなかったんです。
その分、本の世界や、自然や動植物はただひらすらに生き抜く美しさと潔さが
あると思えてなりませんでした。
不変なものへの憧れなんでしょうね。
歳を重ねるたびに
人間社会の複雑な営みで、不本意でも裏切らざるを得ない状況に追い込まれる
哀しいけれど、仕方のない事だとわかってきました。
裏切ったことはない、と思える人生を歩んできた人は、物凄い幸運であるか
それを貫く為に、知らず知らず誰か、何かを犠牲にしてきたのではないか
人とは、自分も含めてそういうものだ
と思うに至りました。まだまだ未熟ではありますが^^;;
自然という、大きなものを前にすると
自分へのこだわり、執着が失せる、価値のないもののように思えてくる
心を解き放つ手助けをしてくれる気がします。
ゆみさん★コメントありがとうございます。
本当にまいってしまうと、周囲が消えて、心が閉じ、出口すら見えなくなってしまうのなんですね。
その暗闇からどうしたら抜け出す事ができるか
人それぞれだと思うんですね。
美しさを感じる余裕を失っている場合、
一度、たくさん泣いて、胸に溜まったわだかまりを吐きだすことも
効果があるかもしれませんね。泣いた後にふと、花の美しさが目に留まる
そんな心の変化が現れることがあります。
いえいえ、こちらこそいつもありがとうございます。
ユミ丁稚さん★コメントありがとうございます。
雑草のような小さな花、見て見てと咲き誇る訳でもなく、アスファルトの裂け目から
必死にはい出して、とりあえず咲けたなぁ、と顔を出している姿を見つけると
なんとも嬉しくなります。可憐なだけではない逞しさがあります。
世界に一つだけの花とはナイスな言葉
一日だけなのか、早咲きなのか、遅咲きなのか、人が持つ花の時期は
いつなのか、わからないのところが罪であり、楽しみでもあります。
人はみな、自分という花が咲く時がある、そう信じてみるのも素敵ではありませんか。
道端に咲く、誰も見ていなくてまして、自分が誰かに見られるなどと考えもせず咲いている小さな花。
その花の心根に気づくことが出来る人生でありたいと思うばかりです。
うちの近所にもモクレンが咲いています。
が、10m以上とは大木ですね。
あの大きな花が一斉に咲くと迫力がありそう。
いや、ほんと、見てみたいものです^^
瑠偉さん★コメントありがとうございます。
まだ、時々肌寒い日がありますね。
春に三日の晴れなしで、天気も変わりやすいけれど
日差しは確実に明るくなってきています^^
よしもとばななさん
以前はよく読んでいました。
最近はご無沙汰だったので、時間があれば読んでみますね^^
じゅんさん★コメントありがとうございます。
枯れ木に見える枝も、小さな新芽をいっぱい抱えています。
この冬は特別に寒かった気がしました。
どんなに季節が厳しくても、やがて終りを迎え
明るい陽ざしが降り注ぐ、
自然の営みをそれを知っているようです。
日常に流されていると
季節の移ろいにも気づかないことがあり
そんな時は、ほんの少し立ち止まって周りの景色を眺める
自分の立ち位置を振り返る事ができかもしれませんね。
yukinkoさん★コメントありがとうございます。
いや、そりゃあ、やっぱりお子さんの方が大変だと思いますヨ。
犬は、なんていうか、甘えさせたままでもいいので
もちろん躾は大事ですが、いつかは手放して、一人で生きていくという
訓練をさせなくてもいいのでね。
散歩のおかげで、犬友だちや、いろんな人ともお話をさせていただく機会があり
てんやわんやだったけれど、活気のある楽しい日々でした。
そして、何より、移り行く季節を毎日感じる事ができたんですね。
という言葉がとても素敵だと思いました。
お友達で今人生に疲れてしまって、美しいものを見てもそう思えないという方がいたので、
教えてあげたいと思いました。
目に美しい光景が見えるかのような素敵な文章もとても素晴らしいといつも感心してしまいます。
厳しい現実と季節の移ろい、そして自然現象、それらを見て、感じて自らの人間形成をされて行った生き方。
素晴らしいことです。 書かれたことに感動しております。 おおきに。
虹・・・最近見てないです・・・。
自然の美しさを忘れないようにしたいと、私も改めて思いました。
長い長い雌伏の時があるからなんでしょうね。
小さな幸せを愛でることのできる
心のゆとりを忘れずにいたいものです。
過ごしやすくなるかな…
花は私たちにいろんなことを感じさせ、思い出させます。
切ないくらいに綺麗で美しく、最高に輝く。
この子たちも頑張ってるんだー
ってときどき思います。
何かを感じるということは、とても幸せなことだと思います。
今、よしもとばななさんの「なんくるない」
という本を読んでいます。
なんくるない、沖縄の言葉で大丈夫、なんとかなるさ
という意味です。まだ読んでいる途中ですが、元気をもらいます。
両親のことについても書かれてあり共感できる部分がたくさんありました。
喜怒哀楽、それを感じることがあるからこそ人間。
ケンカもあり、苦しいときだってある。
けどそれが人間だと人生だと思わせてくれるような本です。
機会があればぜひ…^^
今はモクレンが満開寸前です。
家の近くに、それは見事な白モクレンの大木があるのです。
10メートル以上あるでしょう。
他であんな大きなモクレンを見たことがありません。
それが満開になると、もしかすると桜よりも見事かもです。
あなたに見せたいな^^