「契約の龍」(158)
- カテゴリ:自作小説
- 2010/03/16 14:20:06
『森』と『庭園』との間には、隠された通路がある。
正確にいえば、通路につながっているのはその二か所だけではない、らしい。だから、不案内な者が足を踏み入れるととんでもない場所に出る、という。迷ってしまった者はそれっきりになるので、真偽のほどは定かではないが。
とはいえ、何度も同じ場所の往復を繰り返しているうちに、くせがついたのか、今では足を踏み入れるだけで目的地まで運ばれる。便利だ。いつかその反動が来なければいいが。
(アレク)
通路を出るとクリスが手を振っているのが目に入る。透けているので精神体だと判る。
「…こんな時に離れてていいのか?」
(……だって、待ち遠しくて。体の方はまだ来られないもの。今だったら、離れてたって、きっと眠ってるものと思われるよ。丸二日もかかったんだから)
畳みかけるように言いながら、半透明の姿がまとわりついてくる。この姿では、抱きしめる事も挨拶のキスを交わす事もできない。
「そんなに大変だったなら、呼べばいいのに」
(役に立つというなら呼んだろうけど。おばあちゃんの話では、こういう時、枕以上に役に立つ男なんていないっていうから)
枕以下とは、ひどい言われようだ。
「…まあいい。うちの方だろう?」
ひとつ肩を竦め、クリスの居所を確認して歩き出す。と、クリスが肩に腕を絡めてしがみついてくる。
「やっぱり疲れてるんだろう?体の方に戻って待ってた方が…」
(やだ。重さがある訳じゃないんだから、いいじゃない。…待ってるより、一緒にいる方がいい)
やれやれ。……彼女がこういうかわいらしいわがままを言うようになったのは、いつからだったろう?
「…だったら、背中にぶら下がるんじゃなくて、顔が見えるようにしてくれないかな」
(……実体見てもがっかりしない、って約束してくれる?)
「する訳ないだろう。……それとも、ちょっと見ない間に、そんなに面変わりするような事があった?」
(本当に?)
重ねて訊いてくる。念を押さなきゃならないほどの変化があったんだろうか?
「…多少驚くかもしれないけど、がっかりなんてしない。約束する。」
すると背中にぶら下がったまま、上半身だけ乗り出して顔をこちらに向ける。コドモか?それとも「ポチ」の真似か?
「……ああもう、好きにしろ」
何を言っても、だって実体じゃないんだから、って言い返されそうだ。
「…確かに、『金瞳』だね。でも、どうして今頃になって?」
クリストファーの顔から手を離したクリスが苛立たしげに言った。
「そんなの、こっちが訊きたい」
答えるクリストファーの方も、ちょっと迷惑そうだ。
「…でも、「力」が引き出せるほど強い結びつきじゃなさそう。…どうして……」
しばらく考え込んだ後、クリスが口を開く。
「他にこういう報告来てない?旧『大公』家から」
結局、全ての『旧王族』を調べ上げる事はできなかった。よその国へ移動してしまった血統もあったので。だが、それでもその日のうちに十数人の報告が上がってきた。
「あの馬鹿龍、広く薄く餌を摂る方針に替えたやがったのか」
未だ目覚めぬクレメンス大公の離れへ行く途中で、久しぶりにクリスの『馬鹿龍』を聞いた。
「餌、って…」
「私の方は約束を守ってもらったみたいだけど、そのせいで大勢に迷惑がかかるようでは困る。だから、何としても「眠れる王子」には起きてもらわないと」
クリスの胸には、未だ『金瞳』があるが、そのまぶたは閉じられている。
「でも、どうやって起こす気だ?」
「今までの『活動低下状態』ではないんでしょ?だったら、普通に「たたき起せ」ばいい」
実際に手を出した訳ではないが、かなり荒っぽくクレメンス大公を起こしたクリスは、寝起きでまだ状況が良く呑みこめていない大公に、『龍』との契約の解除と再契約を迫った。
「貴女の言いたい事は、解りました。でも、少し考える時間をください」
クレメンス大公はそう言って返答を保留し、……そして現在も保留したままだ。
通い慣れてしまった道を通ってクリスの家まで行く。暑くもなく、寒くもない、外を歩くにはいい季節だ。淡いピンクや黄色の花が、足元や頭上を彩る。
この時間帯、「村」の子どもたちが前庭でたむろしている事が多く、今日も案の定だった。
「こんにちは。…いる?」
子どもの姿が見えた途端、クリスが姿を消したので、敢えて訊ねてみる。
「そのはずだけど、会えるかどうか判らない」
子どもたちが口々に返す返事を要約すると、だいたいそんなところだ。礼を言って屋内に入る。