Nicotto Town


まぷこのぶろぐ・・・か?


「契約の龍」(155)

 クラウディアが手を盥に入れると、湯が手のひらほどの大きさの球体になる。それをクリスの頭の近くまで運ぶ。湯がクリスの額に触れると、吸い込まれるように頭を覆う。
 「しばらく支えててね」
 「しばらく、って…どのくらいですか?ずっとこの姿勢でいるのはちょっと、辛いんですけど」
 「辛かったら、上半身起こしちゃって、凭せ掛けとけばいいから」
 廊下から持ち込んだランプに、暖炉から取った火種を移し、ベッドの頭板の上に吊り下げる。それからクリスの頭にちょっと指を突っ込んでくしゃっと撫でてから、「もう少しね」と言い置いて部屋を出ていってしまう。
 クラウディアがやったように、クリスの頭に手を触れる。湯に浸っているのは地肌だけで、髪の方は濡れていない。手を離すと指先は濡れていない。…そういう条件付けがされているのだろう。
 凭せ掛けとけばいい、などと気楽に言われたが、しっかり支えていないとズルズルと倒れてきて、思ったよりも神経を使う。……それとも、慣れればそうでもないのか?そして、クリス自身は、こういう作業に慣れているんだろうか?
 再びドアを敲く音。しばらくしてまた勢い良くドアが開く。どうやら蹴り開けているらしい。見かけによらず、荒っぽい人だ。…後日聞いたところによると、両手がふさがっていてもドアが開けられるように、ドアの下の方に仕掛けがあるのだとか。
 今度はこまごまとした道具の入った籠を提げている。
 「じゃあ、頭を洗うから、しっかり支えててね」
 籠を置いてベッド脇に立つと、そう言うが早いか髪の間に手を突っ込んで、指を細かく動かし始める。…普通に頭を洗っているだけのように見えるが。
 「そうよ。言ったでしょ。頭を洗うからって」
 三回湯を換えて同じ事を繰り返した後、浴布でクリスの頭を拭いながらクラウディアが言った。
 「ここにはあの離れみたいな便利な魔法がかかってないから」
 「では、なぜ離れの方に移らないんです?今ならベッドも運び込めるでしょうに」
 「んー……」
 クリスの頭をむやみにこすりながら、なぜか口籠る。
 「何て言うか…あまり長時間あそこには居たくないのよね」
 「居心地が悪い、っていうことでしょうか?」
 それもちょっと…とつぶやきかけてしきりに首をひねる。無理に一言で言い表す言葉を探しているようだ。
 「一言でいえば、そうね。むろん、あなたが、あっちの方が手間が省けていい、って言うなら、止めないけど」
 何やら複雑な、あるいは面倒な事情があるようなので、深く突っ込むのは避けた。
 一通り水気を切った頭に浴布を巻いてこちらに預けると、クラウディアがクリスの寝間着のボタンを外し始めた。
 「な…何をいきなり」
 「脱がせなきゃ着替えさせられないでしょ。何慌ててるのよ。独りじゃ着替えさせるのが手間だから手伝いが来るの待ってたんだから」
 「手間、って…」
 「こっちの寝間着は着替えさせやすいように手を入れてあるから」
 …って事は、十日間、同じ寝間着のまま、って事か?
 「…今まで、着替えさせてなかったんですか?」
 「だって、この寝間着、着替えさせにくいんですもの。クリスもその辺、気を使ってくれればよかったのに」
 そう言う間に寝間着のボタンを外し終わる。なるほど、頭が通る分しか襟ぐりが開かないので、他人が着替えさせるには不向きだ。
 ……クリスの着替えは、大変だった、とだけ言っておこう。それに比べれば、シーツの交換は、はるかに楽だった。意識のないクリスが上に乗っている状態でも。
 「……心底、早くクリスに戻ってきてほしい、と思いますよ」
 「もう音を上げたの?」
 取り換えたリネン類をひとまとめにしながら、あきれたようにクラウディアが言う。
 「…どこか動かすたびに、関節や筋を傷めてしまうのではないかと気が気じゃなくて」
 「着替えさせるくらいで捻挫や骨折するほどやわじゃないけどねえ、人の体って。…ふつうは」
 「そこまでひどく傷める事は……たぶんないと思いますが」
 「だったら思いきった方が気が楽だよ。それともいっそ面倒なら、裸で寝かせとく?」
 「はっ…裸でっ?」
 うろたえたせいか、クリスの髪を梳かしていた櫛が引っかかってしまった。クリスの首が、かくんと傾く。
 「…反応が大げさねえ。うろたえるような事でもないし、それくらいで首が折れたりはしないから」
 折れなきゃいいってものでもなかろうに。
 「そっ…それより、そちらの「囚われの姫君」救出のための調査は、進んでますか?」
 話題を逸らそうと試みると、意外な反応があった。
 「…「姫君」って?………あ、もしかしたら」
 水桶の中身を湯沸かし用の盥に移す手を止めて何やら考え事を始める。
 「……つながりが見つかったかもしれない。ちょっと確認してくる」
 そう言い置くと、やりかけの仕事をほおって部屋を出て行ってしまった。窓の外は、夕闇が迫りつつあるのに。

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