浅田真央が表現した未来
- カテゴリ:人生
- 2010/02/26 21:18:03
実は、とても驚いている。
浅田真央がこんなに凄い人だと思っていなかったのだ。
成績という結果では、演技の失敗などもあって、銀メダルだったのだが、浅田真央が目指したのは、非常に高い目標だったと伝わって来た。
浅田真央の演技を見ていると、体に芯があって、力強い。
ぶれないジャンプは見ていて気持ちがよい。
そして、その力強さが、全編通して見られるのだ。
重たい曲を選んで、力強い演技を見せる。
この、重い曲調を選んだというところに、浅田真央の気持ちが入っていると思う。
その選択が競技として良かったか悪かったかは別の問題として、表現者として、それを選ばないわけにはいかなかった気持ちが察せられる。
フィギュアスケートの選手として、日本で第一人者になり、競技を戦って来た。
その中で、重たい音に魅力を感じ、それで滑ることが自分らしいと感じる。
競技者として、難易度の高いジャンプを成功させたいし、それを見せられる自分でありたい。
そうした意味では、今回のフリーの演技は、浅田真央らしいし、優れた表現だと思う。
浅田真央には表現力がある。
僕は確信した。真央は優れた表現者だ。
どうも世間では、浅田真央は技術力が高いが、表現力は少ないことになっている。
でも、違うと思う。
浅田真央には、表現すべき自分自身がある。
ただ、それが、他人にはわかりにくく、見栄えがしないのである。
でも、それも今回のオリンピックで変わると思う。
もっと観客が楽しくなるようなもの。
共感する演技に変わると思う。
今回の演技は、パーソナルな表現だったと思う。
しかし、オリンピックを経験したから、次は、観客を含めた表現へ広がると思う。
今回のオリンピックは銀メダルだったし、今という範囲では、演技は失敗だったのだが、高い目標が感じられた。
目標が高いと言うのは、目指す未来があると言うことでもある。
未来を感じさせると言う意味では、浅田真央が一番高い目標を感じさせてくれた。
金メダルを目指して、全てをそのために準備して、実際に金メダルを手に入れた。
それで、ひとつ何かが完成したように見える。
完成と言うのは、同時に終わりでもある。
キム・ヨナはスケートを続けられるのだろうか。
心配するのは見当違いなのだろうか。
世界最高得点と戦うんじゃなく、競い合いを見たいと思うのは我儘なんでしょうかねぇ。^^;
フィギュアのような競技は、プロのアイスショーを見れば、失敗のない、自由な演技が見られて、その方が、楽しいと言うだけなら楽しい。
でも、オリンピックの方が感動する。
競技で、点数をつけて、順位をつけて、そうした規定があって、だから限界に挑戦することになる。
アイスショーでぎりぎり限界まで見られるはずはない。
オリンピックで見る演技は、人間の限界を見ることになるのだけれど、それが、勝敗なのか、芸術なのかもわからない。
陸上競技のように明確な勝敗が目標なら、話は簡単なんだけどね。
石原都知事みたいに「銅なんかでばか騒ぎするな」って言えるんだけど。
反対に金を獲った方は「あの場での最高の受けに焦点を合わせてきた」ということでしょう。
また安藤美姫も彼女のベストに近い出来栄えで素晴らしかったけれど
点数にはあまり反映されていなかった気がします。
また「受け」という面で突き詰めるとカナダの空気に合わせるのではなく、
彼女もまた自己表現に徹したと言えると思います。
真央ちゃんも美姫さんもヨーロッパ開催のオリンピックならもうちょっと受けたかもしれません。
メダルの色も有無も関係なく拍手です。
いつもは 何故か手足が長すぎるように感じていたのですが
今回は それがまったく違和感なく たぶん指先 足先まで
きっちり神経が行き届き 表現されていたからではないかと思います。
そして その気迫に圧倒されました。
一回りも二回りも 大きくなった真央さんを見ました。
フィギュアスケートを見てから、特にキムヨナの演技を見てから、なんとなく虚しい気持ちになっていて、
その答えが、そのままれおポンさんの言葉に表れているような気がして、コメントさせていただきました。
あえて難しいものを選んで、分かってもらおうとするのはすごく大変で、
それにあえて挑戦しようとする真央ちゃんの強さを感じました。
これからの真央ちゃんに期待ですね^^