残心
- カテゴリ:勉強
- 2010/02/18 03:20:40
自慢話にならない限り、長老の人生論は聴くに値する。
或る日の天声人語の出だし。
実感した一日でした。
仕事関係でお礼の接待をすることになりました。
年配の大先生。現役時代、この業界では厳しくて有名だったらしい。
わたしは外部の人間だが、箸休め的役割で、末席に座らせていただきました。
話の内容は解らないので、頷き、笑顔を絶やさずというのが、わたしの仕事だ。
「言葉」にこだわりを持たれており、誤った日本語の遣い方を嘆いておられた。
「きれいです」と「美しいです」どちらかが間違っている。
と言われる。
「きれいだ」とは言えるが、「美しいだ」とは言えない。
「美しいのです」が正しい使い方だ。と言われた。
過ちを指摘するだけではなく、何故そうなのか、教えてくださる。
適当にブログを書いている身としては、ドキドキものだ。
その他、トップの在り方や、興味深いお話を聴いた。
大きなイベントや学会などを主宰する場合、トップは最後まで残らなければならない。後片付けまで確認することが大事だ。
たとえば、人と別れる時、目の前で挨拶をして、相手が見えなくなるまで
見送らなければならない。
心を残す。礼をつくすとは、最後まで気を抜いてはいけない。
残心
剣道では相手を打ち負かした後、すぐに、攻撃に備える心構えを言う
ざんしん、ですか。。
先生をお見送りする時、ちゃんと寒空の中、タクシーが消えるまで
お見送りいたしました。
普段、友人と別れる時でも、もちろん、しています。
振り返ると、手を振っていてあげたいから。
信念を持ち努力を怠らず生きてきた長老のお話に耳を傾けると
素直に頭を垂れて、神妙な気持ちになりました。
勉強させていただきました。
滅多に接待はしないのですが、これから増えそうな予感も^^;
何しろお世辞を言わないタイプなので^^;
本当に歳を召されただけ。。の人にはかなりの苦痛が。。
とはいえ、今回は本当に勉強になりました。
なんと。。辞書まで戴きました。。
仕事を最後まで見届けるトップがいたなら、
部下は気が抜けませんね^^;
それに、プロの仕事であることを学ぶのかもしれませんね。
カルカンさんはいつも気を遣っておられるのですね。
気苦労も絶えない事でしょうね。
仕事を離れれば、どうぞ、ゆっくりと気を抜いてくださいね^^;
礼を知っておられる方とお会いすると
こちらの礼儀知らずを見透かされているようで
本当に緊張します^^;
なんて、嘘で、案外、あるがままなんです。が、やはり
気遣いというものをさりげなくできる、ようにな至っていないので
大丈夫だったかなぁ。。と反省をしつつ思い返すばかりです。
本当に日常にしてゆかねばと思うのですが
うむむ。。。です^^;;;;
礼を尽くす、と、隙を見せない
これに相似点があるんですね^^
勉強になります。
少し前までは、砕けたというか、いろんな造語的な言葉もいい
わたしもそう思っていました。
言葉は時代と共に変化するものだし、それでいいと思います。
でも、なぜかしら、美しい基本形の言葉を知ると、忘れられなくなります。
それは知識というものから出てくるからです。
ちゃんと勉強と訓練を積まなければ、ちゃんと会得することができません。
いわば、知性なんですね。
そして、ちゃんと意味がある。
意味があるものは美しいのです。←美しいです、じゃ、稚拙になるでしょう。
親しいもの同士の会話で、秘密の暗号的な言語になる
楽しいものですね。
でも、わたし、それね、好きじゃないんです。
なぜか、
世界が閉じているでしょう。
他者が入り込めない。会話が広がらない。
バベルの塔のごとく、神の罰として全世界を違う言葉にして意思疎通を阻害した。
言葉は意思を繋げるもの、人との違いを知り、他者や世界を知る手段
ならば、みんな解る言葉がいい。
それならば、ふと、横から、それは違うんじゃないか。って入ってきて(よけいなお世話かもしれないけど)
会話というか、世界が広がっていくのではないでしょうか。
瑠偉ちゃんはたぶん、少女と呼んでも良い歳だあろうと、憶測しています。
わたしが少女だった時代と、今では、やっぱり大きく環境が違います。
藤原新也さん『渋谷』という文庫本を電車の中で読んでいて
少女たちが自分を確立する為にもがく過程で、
自分をかくも傷つけてしまうものなかか、ということと
母親と娘に関係の深さに、
痛みを感じてしまいました。
だからこそ、瑠偉ちゃんがこの危うい十代の時期を、自分を深く傷つけることなく
親を理解しよう、向かい合おうとした、利発さに、ホッとして、とても嬉しく思っています。
大人という年齢になっても、その人の本質は、実は、たいして変わりません。
お母さんも一人の人間として、弱く、哀しみ、もがいていたんだと思います。
そして、ちゃんと瑠偉ちゃんと向かい合おうとしてくれているたことも
わたしは嬉しい。
人生で最初に出会う苦しみが、一番高い跳び箱で
走り出して飛ぶまでがとても勇気が要ります。
踏み台を蹴った時、飛べる自分がいて、飛び方を覚えたなら大丈夫。
逃げない、という、大切で勇気がいることを学ぶことができたんだから。
わたしは、人は伝えあわない限り、決して解り合えないと思っています。
そして、一番大切なはずの身近な人ほど、難しいのです。
瑠偉ちゃんが自分の痛みを超えて、ご両親の人生を想ったこと
それに、涙が出ました。
瑠偉ちゃん。ありがとう。
最後まで手を抜かない。
これは習慣化しないと、つい忘れがちになりますね。
ビジネスの現場においては、誰が見ているか解らないとも
おっしゃられ、見せようとしていない場所こそ大事で
それを見ようとする人こそ、物が見えている人ともいえますね。
ブログは、広場のささやきみたいなもので、個人に語りかける
だから、子どもの電話相談に答えるように、優しい文章の方が合っているんです。
と新聞に書かれた池澤夏樹さん。
日常書く文章と違ってくるのは、仕方のないことかもしれませんね。
会話するように、書いてしまうので、見直す時間も限られてきますしね^^
だから、個人的な事の方が受け入れられやすいし
公の事やフィクションに、人気が集まらないのがブログの特性かもしれませね。
お話の内容も素晴らしいのでしょうが
存在そのものが持つ雰囲気こそが、心をシャンとさせてくれます。
そういう機会は羨ましいなぁ^^
日本語は大切にしたいですね。
昔はいい加減でも、ちゃんと読めればいい程度で軽く見ていました。
単に、勉強不足だっただけだと、いえ、するのが面倒くさかっただけ^^;;
それを思い知らされます。
そう、振り向いてくれれた時、
もう一度手を振ると、こちらも暖かい気持ちに包まれますね^^
勉強って、社会に出てからの方が
いたく沁み渡る気がします?
いえ、これは処世術でしょうか。
とはい、信念を貫いてきた仕事をされた人の
話はためになります^^
ヒロさんもニコでは長老??でおられます。
フィリピンのお話や人生もろもろについて、
いろいろと考えさせていただく機会を持たせて戴いております。
こちらこそ、ありがとうございます。
心配りをすることは必要です
ね^^
損な役割ですが、きちんと最
後を任せられる人が一番信頼
されているかとも思います^^
偉い人との宴席は、笑顔を絶
やさず^^カルカンもよくや
ってます、あとトラブリそう
なところにわって入ったり^^;
「美しい」と「綺麗」
前者は神々しい感じ?後者は
清楚や爽快的な感じの使い分
けの感がします^^
・・・私はまだまだ心得ておりませんが(;;)
『礼を尽くす』
このお心が、本当に御座います方って
どのような時も相手を思い遣り、お気遣いが自然と出来ますように思います^^
(実際は、『自然と』でなく『必然と』されていらっしゃるのでしょうけれど
そちらがとても自然に見えてしまいます事、尊敬致します。)
お仕事でなくプライベートでも
別れの「またね。」のご挨拶時
振り返っても いつもの笑顔がそこにある・・・
とても素敵だと思いました^^
他者への気配りというニュアンスではなく
最後まで気を抜くな、ということです。
ビジネスにおいては、心配りで闘うのです。
それを解り合える相手とは、組める。ビジネスパートナーとして
信頼できる大きな足掛かりとなるからです。
だからこそ、細心に注意を払い、誇りと尊厳を持ちながら
相手にも礼を尽くす、それを最後の最後まで怠ってはいけない。
どこで、誰に見られているかもしれない。
ということなんです。
わたしはわたしに「死ね」と言う人とは絶対に傍に置かないし
いない。そして許さないよ。切ります。
人と人の関係はある意味でgive and take
対等で、双方向に刺激し、尊敬し合わないと、消耗するだけです。
自分を高めることにはならない。
何度も言うが、あなたがあなたの交遊関係や
周辺の人を悪く言うのはいい。
でもね、それは愚痴にしか聞こえない。
努力のない愚痴は
だんだん嫌になるのよ。
何度も書いたと思うけど
自分で変える気がないなら、
それは書かないでね。
わたしは冷たい人間ではないけど
甘え過ぎるとね。。。
付き合う相手はね、尊敬できなければ
続けることができないのよ。
お互いに。
自分を卑下し続けるのを、
わたしは好まないの。
ちょっと来て見ました。
(*’ー’)(,,*)(*‘∇‘)(,,*)うんうん、いい話だ♪
(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)
なんて使い方も面白い気がする、なんてひねくれてるカナ。
ごくごく親しい人とばかり言葉を交わしてると
はたから見れば暗号だらけのような言葉になってしまったりする。
親しい人との間でだけ伝わる言葉だとか、ノリ。
でも、それはそれで面白い世界を開いてくれるような気がするのですよ。
でも、昔ではそれが当たり前だったのでしょう。
それを失いつつある今、私も含めてですが^^;
悲しいです。
言葉というのは、日常で一番よく使うもの。
とても大事なものです。
大切にしていきたいですね。
手毬さんへ
手毬さんが書かれた「三つ子の魂百までも」のブログに、
かなり長いコメントをさせていただきました><
父と母に笑顔でいてもらいたいと。
最近、母から生まれて初めての手紙をもらいました。
でもそれは母の意志ではなく、あることをきっかけにといいますか
やらなければいけなかったといいますか。^^;
その手紙には母のすべての想いが詰まっており、
小さいころから私に「あなたはしっかりしているからね」と言い続けた自分を、
責めているよう文が綴られていました。
実は、この手紙をもらう前に、やはりこのままの父と母の関係は嫌だと思い
両親に手紙を書いていました。本当の自分の気持ちを書いて。だけどなかなか渡せず。。。
でも数日前に母からその手紙をもらい…
渡そう!と決心しました(´∇`*)今はお互いバタバタなので今週の土曜にでも。
手紙を書く、両親に自分の気持ちを伝える。そうしようと思えたのは、
手毬さんのあのブログのおかげです。かなり悩んで泣きながら手紙を書きました。
想いが伝わるといいです。手毬さん、本当にありがとうございます。
と、伝えたかったのです^^;長くなってすいません。
最後まで手を抜かずに礼を尽くす。
心にとめておきたいと思いました。
↓でKINACOさん、黒猫手毬さんがおっしゃってるとおり、ブログを書いてる中で、自分の言葉が荒れていくのを感じます。
何かを伝えたいから書く訳だし、伝えたいから言葉を変えるているのですが、、、。
心の中に、いつも残しておきたいですね。
あ!それこそ「残心」か、、、。
日本人は何でも心を大切にしていた文化などもあるので、
改めて大切にしたいと思いました。
私も友達と別れる時はいつまでも振っているタイプで、
すぐ終わらせてしまうと寂しい感じがするので・・・
斬新いあ残心ね。
勉強になるなあw
素晴らしいお話を聞かれたんですね。 ワテなんかは、いつもがさつで、修養の足りないことを恥じているのやけど、恥も何も捨ててブログも書いてますわ。 そやから、文の拙いこと、仕方も無いことやけど、こう言うのを読ませてもらって勉強させてもらうんですわ。 おおきにです。
他者への気配りとでも言うのかな。
剣術の世界では当たり前の事でもあるけどね。
最近、礼節なんか関係ないって言う人も多いけどね・・・・・・・・・・・・・
礼には礼で返し非礼に対しても礼で返す。
コイツは基本だと私は思う。
人間ってトコトンまで言い合いしないとお互いの為にならないと私は思う。
まぁ、最近の人は会話にまで効率とか求めて理屈が無い話は聞かないなんて言うのも居るけど。
これは私の周りの人間だけかもしれませんけどね。
どうも、周りの人間の話を総合したら最初から人間として扱ってなかったって言ってたけどね。
ま、私の扱いなんかこんな物ですよ(苦笑
礼節なんて言葉出したら「生きた化石シーラカンス」言われたからね。
人によって言葉の解釈って違うと思う。
私は良い言霊なんか使えない。
人間としては完全に欠陥だらけらしいからね。
ま、私なんか生きてる価値無いとか言い続けられてるからね。
だから、人には死ねなんて言う事は間違っても無いです。
代わりに死んでやるなんて事は言う事もあるけどね。
ブログは話し言葉というか、個人に還る言葉なんですね。
対個人、っていう感じだから、優しい言葉の方がいいようです。
ちゃんとした日本語は注意しないと、うん。
荒れます。
タキさんが言霊というけれど(良い言霊を使え!)
文章も生き物だから、個性も出るし、その人自身も表れてきます。
ちゃんと訓練しておかないとなぁ。。とつくづく思います。
かなりの御高齢なんですが、頭脳明晰。学者でありながら実務家でもあられるんですね。
知識の量と幅が広く、好奇心が旺盛なので、おちゃめです。
まぁ、高齢なので一方的にお話を聴く方になりますが^^;;
わたしも滅多にないですよ^^;
高齢母の愚痴はよく聴くけどね。。
文が荒れます。
どうしても伝える事に神経を向けるので、荒れて行くのが自分でわかります。
もっと言葉を大切に。。。と思いつつ、見直し添削がある文章とは、自ずと違って来ます。
長老ね。
田舎に居ると、アキアキする話も多いので、どうしても刺激が欲しくなります。
ちゃんと「心が打たれる」お話を聞きたくなるのです。
羨ましいです。