ドレスデン 人間の鎖
- カテゴリ:ニュース
- 2010/02/15 00:53:51
オリンピックを書こうかと迷ったけれど
やっぱりこちら。
ドレスデン 東ドイツの古都の一つでした。
陶磁器のマイセンの都と言った方が解りやすかもしれません。
十年前に行ったことがあります。
まだ、東西の壁が僅かに残っていました。
ベルリンも旧東ドイツ側に足を踏み入れると、道路なども舗装されていない所があり
整備された西ドイツの街並みとは、違う陰が感じられました。
その中でもドレスデンは美しい古都の風情をたたえていました。
戦後、すべて復興されたのです。
第二次世界大戦、ヨーロッパで一番酷いといわれた空襲の被害に遭った古都でも
あったのです。
当時、大勢の難民が流れて込んでいました。
最初の空爆は軽く、空襲警報が解除され、一般市民が防空壕が出てきたところに2度目も爆撃をした、非人道的な行為で、大勢の犠牲者が出ました。
織物工業も盛んな地域であり、炎は瞬く間に都を全体を焼き尽くしたのです。
空襲から65年、極右ネオナチが追悼を利用しデモを繰り広げようと
ドレスデンに集結してきました。
市長や州の首相の呼びかけにより1万に市民が抵抗運動を展開。
人々が手を繋ぎ、1キロにもわたる「人間の鎖」で囲み、戦後復興と、平和の祈りを捧げるシンボル、フラウエン(聖母)教会のある旧市街の侵入を
阻止しました。
バロック様式の堅牢な聖母教会は、空襲で崩れ落ちましたが
残骸は保存され、東西ドイツ統一後、復元が本格化し
2005年、再建されました。
http://allabout.co.jp/travel/travelgermany/closeup/CU20070425A/
もちろん、要人参加なので警察数千人の護衛がおりますが^^;
http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010021401000124.html
それでも、少し嬉しくなるニュースでした。
同じことをパレスチナの各地でやれば、確実に死傷者が出たりするんです。
蛇足ながら、そんなことも考えました。
極右は大キライですが、若者が多い。
日本でも、守るべきものがない事態に追い込まれた若者は
戦争が起こればいいと願う人もいるとか。。
新卒の就職率が悪い昨今、仕事も与えずに、放り出してしまう社会に
暗いもの感じてしまいます。。
そうそう。
自然にできるように、
武器よりも暴力よりも、人の輪というものこそが
真に強いものであって欲しいですね。
現実は厳しいけれど。。
自然にできるように、
武器よりも暴力よりも、人の輪というものこそが
真に強いものであって欲しいですね。
現実は厳しいけれど。。
人類共通の願いであるはずなのに、なんと難しいことよ・・・・
少しの勇気を出し合って積み重ねて、人は小さくても大きくなれると信じたいですね。
こういう事実が、繋がっていくことが唯一希望なのかもしれない。
我が我がでなく、自然発生的に広がって欲しいなぁ・・・
旧市街を包み込んだようです^^
警察がいるといっても、距離は長いですから
襲われる可能性はあります。
ドイツのごく普通の人々の中には、何故、ナチスドイツを産んでしまったのかという
深い反省の想いがあるように思えます。
国々のあちらこちらに、ホロコーストの記憶を残そうとするモニュメント的な物に
出会うんですね。
戦争になれば、より兇暴性の高い人間が、がぜん力を持ってしまいます。
その恐ろしさを知っている。
まずは意思表示をしなくてはいけない。
暴力の正当化を阻む事。それを強く感じます。
わたしは、若い人がちゃんと就職できない時代になってきています。
働く場所、食べて自立できるだけの賃金の確保は
物凄く重要な事です。
社会構造は、ピラミッド型、それは仕方がないのですが
底辺が安定していないと崩れ落ちてしまいます。
愛すべき国であってほしい。
守るとは、戦うことだけではない。
そんなことをつらつら思います。
一番危険な事は無関心になってしまうことかもしれませんね。
かりんさんのような
若い人がいっぱい増えてくれれば、とても嬉しいのだけれど。。
言霊でしょう。
しょせん、とかね言ってるうちは変わらないの。
曲がったことが嫌いなのはいいことで、変える必要はあるのかしら?
愚痴やら、どうせ、とか言いたくても言わない訓練がね
必要なのよ。
みんな大なり小なり思うんだから
でも、言わないのヨ。だって、言ってみたって、相手も困るし
わたしはそれに甘えてたくもないしね。
戦争時代が論外なのですが、その中でも空襲は攻撃する側に
リスクが少なく、甚大な被害を与える戦闘方法です。
現在はリモコン、衛星から操作することも可能で、
人を殺すということが、バーチャル化している恐怖があります。
そう。本当に過去も今も空襲は必要なのか。。
人間の鎖、どんな時代でも戦争を起こすのも人であるなら
止めれるのも人、止められるの人であって欲しいもの。
1キロときいて、算数のお勉強をまず、思い出しました。
1000メートルですものね。
呼びかけであって、強制ではないはずです。
たとえば、学校行事は「やりたい」と「やらなくちゃ」が手を取り合っているけれども、
人間の鎖は、「やりたい」人たちが手を取り合って、繋がっていったのだと思います。
それだけ、みんな、同じ思いの人がいるっていうことと。
行動するだけの、想いのチカラがあるっていうことと。
そんなチカラが、すごくいいなと、思いました。
シーシェパードの問題で
「戦争になればいいのに」なんて思っている人がいるという事実が、
わたしはすごく、心配です。
たくさんの人の想いが合わされば、戦う武器にもなるし、戒めにもなる。
守る人がいる国を。
守るべきものがある国を。
愛する国を、そんな日本になってほしいです。
戦争を知らない世代の人間ですが、戦争なんて、してほしくないです。
何とかは死なないと治らないって奴で(苦笑
人間の鎖は少し感動しますね^^
ヨーロッパでは、寸分たがわす復元するので
粉々に砕け散った教会の瓦礫は、世界一難しいパズルと言われたそうです。
新しい建物ではなく、願いが込められているんですね。
ドレスデン、日本の地方都市への空襲が本当に必要だったのかというドキュメンタリーを見たことがあります。
極右のような勢力に立ち向かう人間の鎖はいいですね。
人間の鎖すごいですね。
人と人が手を繋ぎそれが1キロにわたる防波堤になる。
確かに嬉しくなるニュースですね^^
非暴力で闘うのに、結構、感動しちゃいます^^
今回はちゃんと警官隊がおったらしいですが。。
いろんな所で、非暴力で行動している人々がいて
地道な努力と勇気がたくさん必要ですが
実を結ぶことを祈ってやみません。
そうなんです。
警官隊がいたとしても、どこから攻撃されるかわからないもの
怪我をしないとは保障できません。
手を繋いで抵抗する。
ああ。。いいなぁと思いましたね^^
ドレスデン空襲、ヨーロッパでは非人道的で有名のようですね。
わたしも何度か映画で観たことがあるのですが
なにせ、馴染みのない土地(そのころは訪問したことがなかったので)
だったので、すぐに忘れてしまったんですね。
この間は広島で被爆し、長崎でもう一度被爆
二度被爆された方がおらましたね。病魔と闘いながら自分の体験を海外に
語っておられました。
そこで浮かびあがるのは、日本になぜ二度も原爆を落とす必要があったのかです。
戦争はすべて不幸の連鎖ですね。
わたしたちのほとんどが戦争を知らないんですね。
日本は特殊な国であるかもしれません。
わたしは飛行機に乗るたびに思います。
大陸から、文化は渡ってくるけれど、攻めるには厳しい微妙な距離
ぽつんと浮かぶ島国の日本。
文化は流れてきて行きどまり、独自の発展を遂げました。
でも、アジアで西欧諸国に肩を並べることができる力と技術力がある。
しかし、真の膨大な侵略と被害は20世紀になって訪れます。
わたしは被害も痛ましいものですが
加害の部分も、とても重要だと思っています。
ドイツの事件は写真から見るとネオナチは不満を抱える若者が多く
人間の鎖は老いた人が多かった。
ナチスを登場を許した歴史を繰り返すまいと、暴力で物事を解決することを
許すまいという思いがあったのだと。。
日本の加害責任について、以前は思わなかったのですが
ここ数年、いろいろと考えることが増えました。
過ちを繰り返さないという人々の強い意志を感じ感動しました。
人の鎖が、正の連鎖になってくれると私は信じています(。◠‿◠。)
まぁ。初めまして。
極右に若者が多いのは確かに決めつけかもしれませんね。
不満の矛先が向かっているのも、その通りだと思います。
つまり、守るものがないと、暴走しやすい。
ちゃんと食べていける道があれば、人はそれを守ろうとするはず。
短絡的に暴力に走ることは少なくなる気がします。
日本の「右」とドイツのネオナチとは、全く違うものであるとわたしは思います。
広島、長崎が、日本人にとって特別です。その土地に暮らす人々には、尚更です。
ナチスの歴史もドイツ人にとって特別であり、ドレスデンの非人道的な空爆も
ドレスデンに暮らす人々には特別なのです。
それはその土地に行かなければわからない、ある種の力があります。
老いた人が多かったのは、その記憶の共有であると思うのです。
できれば、人の非暴力の力で、押しとどめたいという願いが少なからずあると
わたしには思えました。
「主義」というものを考えたことはないのね。
それこそ、縛られることではありませんか。自分で考え、自分で決断し
自分で責任をとるのです。「自由」とは甘さではない、厳しさだと、わたしは思っています。
基本的に個でありたいし、群れたくはありません。
まずは自分で考える。
「哲学」的なことはあまり考えないの^^;
頭で考えても、経験の裏付けがなければ
本当にあっさりと覆ってしまいます。
いろんなものがあっていい。多様性は重要。
でも、個としては好き、嫌いも生じてくるし
縛られない自由な考えを身の中にもつには
覚悟なんでしょうね。
あれ、三本なの。。
だんだん忙しくなってくるので、長いレスはしなくなるのでね。
タキさんの望みは叶いやすそうではないの。
ああいうたら、こういう、のをやめて、前向きの心を少し入れて
無駄に騒がないように自制して、何事も訓練だもの。
そして、愚痴はやめなさいね。
そうすれば、誰かが手を繋いでくれるかもよ。
手を繋いでくれる相手が現れれば、180°変わるんだろうなぁ。
戦争責任ついて、過去のブログにも幾つか書いてあるのですが
『花と兵隊』というドキュメンタリーを昨年の夏、観ました。
ビルマ戦線、史上最悪の作戦といわれた戦場に駆り出された兵士たち。
残留兵として、帰国せず現地に留まった老いた兵士たちの話です。
監督は撮影中は二十代だったの。
それが、わたしにはとても興味深いことでした。
今ある戦争の代表格として、パレスチナに行き、そこで加害責任について考えます。
日本の加害責任はどうだったのかという疑問を胸に、残留兵への取材を始めたのです。
孫のような監督に、老兵たちは重い口を開いていきます。
監督は知ります。目の前にいるのは老人でも、戦争に行ったのは
自分よりも若い時、目線が同じところに落ちてくるの。
もしかしたら、過去にしているのは、わたし達かもしれないよ。
知ろうとすれば、いろんな所に見つけられる。ネットという情報網でも
ある程度はわかるはず。とっても簡単にね。
戦争は日本には過去になっているとしても、至る所で似たような原理で
現在進行中です。過去ではないのね。
ネオナチについてはね、ドイツは特殊なんだと思います。
広島や長崎が、特別な土地の記憶を持つように、
ドイツ人にとって、何故、ヒットラーを産んでしまった土壌があったのか、
ヨーロッパの中において、汚点を残す歴史を作ってしまったのか
ものすごく自分たちで研究しています。日本とはまた違った見方が必要です。
独裁者といえば、つい最近まで米国でアホブッシュがおったでしょう。
彼は本当に酷いことをしたわ。それを選んだ国民は、反動に新しい大統領を選んだんだと思う。
日本においてはどうか。独裁者は難しいかもね。
多様性が進んでいます。国民的アイドルも生まれないでしょう。
参加した方も怖い思いをするかもしれ
ない危険を含みながら、これだけの人
数が集まり行動を起こせることは凄い
ことだと思いますし、見てみぬふりだ
けじゃないということ、暴力に屈しな
いをということを知らしめた痛快?嬉
しい思いがわきあがる出来事だったと
感じました^^
こういうことは日本でもありました。奇妙なねじれ。
話が少しずれてしまいました。すみませんm(__)m
ただ、勢いがある人間が出て来た場合、老若男女着いて行く危険性は否定出来ないと思います。
確かに現在のネオナチは若者の比率は多いですけど、旧ナチスはそれなりに年齢重ねた方も
居ましたからね。
まぁ、若くて凛々しい人間を広告塔に使うと言う方法も取って支持を集めたと言う背景もあったそうです。
現代風に言えば「アイドル的な物」とでも言いますか・・・・・・・・・・・・・・
一応私の周りと先に断り入れておきますけど、無責任なのは何も若い人間ばかりではなかったです。
私より10歳は上の人間や5歳上~同年代も最低限の法律も知らないで「自由」と言ってました。
自分達が幸せなら法律を破っても構わないなんて平気で言う人間も多かった。
大学や大学院出ててもこんな感じのが現実には居ます。
あくまでも、私の周りだけかもしれませんが・・・・・・・・・・・・・・・
法の上での自由なら良いのですが、無法な自由では
今後の日本は余り良い方向には行かない気がしますね。
しかしまぁ、本当に私の周りには多いんですよね、
法律を守るも守らないも自由だみたいな感じの人が(汗
心苦しく、想いに囚われ前に進みます事が中々叶わなず
全てなくしてしまいたいと思われます方もいらっしゃるかもしれませんが
そこに存在致しました『悲しみ・苦しみ・痛み』など
後世の方々へ 忘れずに有り続けて欲しい。
同じ事を繰り返さない為にも・・・
そちらの想いにより大きく共感致します。
私は戦争を 話の中でしか知らない者です。
どんなに頭で考え、胸に想いましても
口頭で発言致します事は 戦争を経験されました皆様
関係され命を亡くされてしまいましたご遺族の方々には とても『軽率な行動』にしか映りませんでも
想いを馳せます事を止めてしまいますのは、同じ人として生まれましたのに
とても悲しい事だと思うのです・・・
問題は、貧困層が感じている不満や怒りの矛先が
さらに下の貧困層に陥りやすい「外国人」に向かいやすいってだけで
要は、「右」でも「左」でも「資本」でもいいのだが
○○''主義''ってのに踊らされやすい、日和見な人達の憂さ晴らしってのがあるんでしょう
(ネット上に蔓延してる''在日''って韓国・中国人の事ばっかだし)
で、どの''主義''にも縛られない、
本当の「自由」とはなんだろうかと、時々考えるのですが
それは、全ての事象を否定し、全ての事象を肯定する事だと思う
その前提がない「自由」は
「自由''主義''」だと思う
まぁ、コレは歴史が証明してますけど・・・・・・・・・・・・
ある意味危険な状態ではありますよ。
第一次、第二次世界大戦も最初は不況から独裁者が現れて始まった部分もあるので。
何だか昔の歴史が繰り返されてる様で正直危機感を感じてます。
私の本当の望みはね・・・・・・・・・・・・・・・
死ぬ前に1度で良いから女の子と手を繋いで散歩がしてみたい。
私の望みなどささやかな物です。
前世では悪代官で町娘でもコマの様に「良いではないか」とか
悪逆非道の限りでも尽くしてたのではないかと(オイ
歴史って風化します。
戦後半世紀以上過ぎました。
本当の真実を聞けるのは恐らく3年位ですかね・・・・・・・・・・・・・・・
まぁ、真実は自分の胸の中にしまって死を迎えたいって言う方も多いですけどね。
現状の上に立つ人間は自分で責任を取ろうとしてないんですよね。
だから、昔の戦争責任も問う事を避ける。
自分達の行動の責任問われでもしたら厄介ですからね。
私が何度か話しに出した大学院卒の良い大人。
何か有れば責任は取ると豪語していながらいざ責任問題になりそうになったら
自分は逃げて私に責任押し付けた。
ま、私に言わせれば想定の範囲内ですけどね。
全員では無いですけど理数系の方には多い傾向です、少なくとも私の周りではね・・・・・・・・・
体育会系の脳みそ筋肉だとまた違う感じですけどね。
ま、私もどちらかと言うと身体で覚えてた事や自分で感じた事を大切にして
計算で物事を判断しない人種ですけど。
人の噂や伝え聞いた事って余り信用しないんですよね。
同じ事柄でも人によって言い方も変われば解釈も変わるので。
俗に言う「大人の常識」「世間一般の常識」ってのは誰が決めたか解らんですから。
まぁ、法律から逸脱する行為は常識だとは思いませんけどね。
最も、未成年が親を騙して外泊とかを容認する大人も私の周りには相当数居ます。
こんなのが世の中では上に立つ立場なのだから困った物なんですけどね。
コレに関しては私も周りの妨害で止めることが出来なかったから同罪で
責任は取らんといかんですけどね。コレはスルーで良いです。
人間の鎖ですか・・・・・・・・・・・・・
何もやらないで外野から騒ぐ連中よりは遥かに良いとは思います。
ただ、それが好戦的な方向に傾くと困りますけどね。
本当から言えば平和の為の戦いなんか馬鹿げた話なんですよね。
戦いは戦いしか生まないし・・・・・・・・・・・・・
ただ、これは良く政治的利用がされ易い。
俗に言う「聖戦」とか言う綺麗な言葉を借りてね。
私の望む物ですか?
真に恒久的に幸せになったり平和が訪れると言うのであればこの命はくれてやる。
また、怒られそうだけど(汗
ま、私の命程度では対価が足りませんな(苦笑
そう^^年配の人が多くてね、
ほんのりと感動しました^^
ドイツでは結構いるんですよ。まだまだ。。
ちょっと感動です。
ネオナチとか、時代錯誤も甚だしいです!
社会が世界が悪いのでしょうか。
うーん。
わたしも、日本の歴史教育の封印、戦後の加害責任については
もっと、真実を教えなければならないと思っています。
常々、ブログの至る所で書いています。
確かにタキさんの言われる通り、若いということは残酷な一面もあります。
いろんな人がいるし、暴力で訴えかける人もいるでしょう。
でも、すべてがそうではないと、わたしは思っています。
わたしはね、ふと思ってしまうの。
タキさんの周囲はどうしてそんな人ばかりなのか。
そういう扱いを受け、辛い思いをされたのなら
タキさんは何を望むのか。何をしてゆけばよいと願うのか。
人生は選択の連続、何を選ぶかで
今があると思います。
世界でね1500万人以上、餓死者がいます。
この人たちこそ、選択の与えれれなかった人達です。
それで、人間の鎖はどう思うのかしら。。
守られていたとはいえ、平和を望む人たちも多いということを。
まぁ、私に言わせれば戦争の悲惨さを知れば戦争は少し減るとは思いますけどね・・・・・・・・・・
日本の教育はそう言う悲惨な事を封印してる所が見受けられてますよ。
人間、綺麗な話だけでは成り立たないんですけどねぇ・・・・・・・・・・
痛みを知らん人間は人に対して痛みを与えても解らないと私は考えます。
極左に若者が多いのは「力こそが全てを制する」的な発想・・・・・・・心理とでも言いますか。
強さに対する憧れみたいな心理だそうな。
まぁ、私の年代でも力で全てを制するとか、何でも勝負として物事を判断する輩は多いです。
現代日本社会の若者が集団で1人を虐めたりするのは自分が被害にあわない為も有りますけど、
人を虐める事である種の優越感を得る為だと言われています。
何でも、自分より弱い立場の人間を作りたい心理だそうです。
ま、心理学者とか評論家が全て正しいとは思いませんけれど
全否定する事は出来ないんですよね。
何せ私はそう言う扱いを受けた事がある人間なので。