Nicotto Town



森本容子2

つづき↓

高校に通うようになってからは、早く結婚したい!と思っていました。まさかこんなに働くなんてぜんぜん思ってなくて、結婚してだんなさんに食べさせてもらうもんだと思ってたんですよ。結婚するんだったら、建築系の人がいいなあと思っていたので、建築系の専門学校に進学した。安易でしょ(笑)。そんな動機だから、週末はリトルニューヨークのショップスタッフのアルバイト。それも今思えば、遊び全開!っていう感じの不真面目な販売員でした。わがままなスケジュール組みしちゃうし、毎日怒られてましたね。

『「カリスマ販売員」ブームがもたらしたこと』
ショップスタッフの仕事が面白いと思うようになったのは、カパルアで渡邊加奈さんと出会ってからです。
とにかく加奈さんといっしょに働きたい!という一心で加奈さんがエゴイストに入社したので私も追いかけてしまいました。ものすごく勉強になったんですが、ギャルブームの盛り上がりとともに名前ばっかりが騒がれちゃって。どんどん自分とは別人の「カリスマ販売員、森本容子」という人物像が作られていった。雑誌の撮影も毎日のように入るようになり、コンビニで販売されている雑誌の3~4冊の表紙に載ることもよくありました。今思うとすごい生活してましたね。

「カリスマ販売員」のブームはたぶん雑誌によるものが大きかったと思います。それまで雑誌に一般の人が載ることなんてなかったじゃないですか。雑誌に掲載されると店側は商品が売れるからどんどん出て欲しいと思っていたようです。そんななか、ある日自分だけが冷めてるって思った。ちょうど弟の病気のこともあって家のほうもたいへんだったので、心身ともに消耗してしまい、辞めさせてもらうことにしたんです。99年の秋のことでした。

今は毎日のようにスタッフになりたいという応募が来ますし、大学の新卒応募者も少なくありません。以前よりショップスタッフ、販売員という仕事の地位が確実に上がっていると思います。若い子たちにとっての憧れの職業のひとつになった。これは「カリスマ販売員」のブームがもたらしたひとつの功績じゃないかな、って思っています。

『23歳と28歳で起業』
エゴイストを辞めるときはいろいろあったのでかなり疲れてしまい、しばらくは弟や家族とゆっくり過ごそうと思っていました。しかし、今のオーナーがいっしょにブランドを立ち上げようと誘ってくれたんです。

わたし自身は服をつくるための専門の勉強はしていません。スタイリングやフィッティングがすべて。でも、販売という仕事を通して、お客さんがどんなものを求めていて、どんな風に着こなすときれいに見えるか、どこがどうだったら売りやすいか、というリアルなニーズに関しては自信がありました。そんな現場側からの服づくりをしてみたいという思いが膨らみ、ブランドを立ち上げる決心しました。今思えば、ずっと自分が着たい服が着られなくてフラストレーションが溜まっていたので、本当に着たい服がつくりたーい!という思いが強くなっていたのかもしれません。

そうはいっても当時わたしはまだ23歳。オーナーも28歳でしたから、当然両親は大反対。でも、オーナーはわざわざ春日部の実家まで出向いても両親を説得してくれて。ちょうどギャル雑誌だけでなく、新聞やビジネス雑誌とかでも「カリスマ販売員」が話題になっていたこともあり、両親も自分の娘がどんなことをしているのかが少しだけ分かるようになっていた。最終的には「頑張りなさい」って応援してくれました。

最初はすべて手探りでした。ジーンズは加工工場に直接出向き、ここをこんな感じにしてください、と何度も何度も伝えてつくってもらいました。そういった工場は1型で何万本と縫製してますから、うちがお願いするロットなんてハナクソみたいなもの。決してビジネスとしてはいい話じゃないんですが、工場の職人の方たちは「あんたたち若いのにえらいねえ」と面白がって協力してくれました。

商品企画もこだわりましたが、販売の現場でもいろいろ試行錯誤しました。マウジーは109の中でも比較的トンガった存在でいたかったので、そこを崩してはいけない。たとえば、今キャップが流行っているとしますよね。今売れているアイテムだから店に置くと必ず売れる。でも、いつまでも置いているのではブランドとしてはフォロアーになってしまう。売れている時にどこで外すかを見極めるのも重要なポイントなんです。

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2009/01/19 13:39
うんうん。
また、違う視点で物事が見れる。
いろんな人がいるなあ~。
吸収するぞっ★



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