「契約の龍」(147)
- カテゴリ:自作小説
- 2010/01/18 11:03:20
「この廊下の向こう側が、王太子宮」
王宮と王太子宮をつなぐ渡り廊下は、空中――階層でいえば、中二階…中三階、というべきか?――にあった。
「下にも通路はあるけど、吹きっ晒しだから」
下の出入り口、というのは、夏に使ったものだろう。そして、設計上の都合か、警備上の都合か、渡り廊下と下の出入り口は、建物の同じ面にはついていない。
渡り廊下を抜けて王太子宮に入ると、明らかに王宮とは内装の趣が違うのが判る。こちらの方が明るく軽快な感じ…だろう。もし、灯りが十分にあれば。
「掃除の都合があるから、給排水設備だけは生きている、って聞いたけど」と言って、手のひらの上に灯りをつくる。そして前方に掲げて先導させる。「お湯とか灯りは自分で何とかしてくれ、ってことらしいわね」
「水が引いてあるだけで十分です。だったら条件は離れと同等でしょう?」
「暖房はしないといけないけどね。まあ、暖炉は使えるようになってるらしいけど」
それだけでも、ありがたいと思うべき、だろう。
階段を降りたクラウディアは、迷う様子もなく廊下を進んでいく。方向感覚がいいのか、何度も往復しているのか。
やがて、一つのドアの前で立ち止まった。廊下の右と左、天井と床を見渡して、「この部屋ね。…たぶん」と言い、ドアノブに手をかける。
ドアを開けると、小ぢんまりとした部屋が現れた。寮の個室よりも、いくらか小さいが、クリスの寝室よりはだいぶ広い。もっともこの部屋には、作業用のものとみられる、広めのテーブルが真ん中に鎮座しているが。
「使用人部屋で悪いけど、って恐縮されたけど、気にしないわよね?出入り口に近い方が優先だから」
「使用人部屋って、内装以外に、何か違いがあるの?」
「部屋の仕切り壁が薄いとか、洗面設備が全員で共用だとか…そんなとこかしらね。あと、ここは個室だけど、大半が相部屋」
「だったら問題は無いでしょ。他に使う人がいないんだから。……少なくとも、私は気にしない」
気がつくと、ふた組の視線がこちらに集まっている。
「……クリスに異存がないなら…いいんじゃないか、と、思う…が?」
「そりゃ、クリスはずっと眠ってるから気にならないでしょうけど。…あなたは、本当にいいの?ここで」
「不都合があったら、その都度対処していく、って考えはダメでしょうか?」
「柔軟で結構、と思うけど?…じゃあ、この部屋でいいのね?」
俺がうなずくと、クラウディアが厳かに言った。
「じゃあ、離れの方へ移動しましょう」
通用口から離れに至る道は、雪かきがしてあったが、それでもうっすらと雪に覆われていた。足を踏み出すと、靴が半分埋もれてしまうくらいに。
「……王宮が雪に埋もれる、っていうのは冗談だったんだけど……このままでは、離れくらいなら埋もれてしまいかねないわね。…いつもこんなに降るの?こっちでは」
「…いえ…覚えている限りでは、これが一番の大雪だと…」
少なくとも、一度の降雪でこんなに積もるような事は無かった、と思う。
「ああ、それで歩き方がそんななんだ」
クリスが納得したように言う。気がつくと女性二人は前の方で立ち止まって俺が追い付くのを待っている。……情けない事に。
「…今からでも応援を呼ぼうか?いまにも転びそうだ」
まだ転んでない、と反論しようとしたら、意外な方から援護が来た。
「平地育ちにしては頑張ってるわよ?第一、応援を頼むって、誰に?この雪の中で動ける人は、それだけで貴重よ?」
「解ってるってば。…ただの冗談だよぅ。こうやって立ってると、それだけで寒いんだもん。……あ、そっか、さっきのがクリストファーだとしたら、お使いにでも駆り出されてるのかも。きっとそうだ、そうに違いない」
寒さのせいか、あるいは他の何かのせいか、クリスの口からとめどなく言葉がこぼれ出る。
「黙んなさい。寒いのは、あんたが薄着だからでしょうが」
クリスは厚手のフード付きコートこそ纏っているものの、その中は毛織のローブだし、足元は素足にブーツだ。もっとも、温度が一定に保たれている離れの中にずっといるならば、差し支えのない服装だが。
「我慢できないんだったら、先に行ってなさい。私はアレク君が遭難しないかどうか見てるから」
遭難、って……いくらなんでも庭で遭難するなんて事は無いだろう。そう言おうとして顔を上げかけたら、足を滑らせた。幸い、転ぶまでは至らなかったので、離れの方に向かって、寒い寒いとこぼしながら歩き出したクリスには気付かれなかった――と思う――が。